あの缶コーヒーのコピーが、ずっと頭から離れない
「このろくでもない、すばらしき世界。」
サントリーの缶コーヒー「BOSS」、宇宙人ジョーンズシリーズのキャッチコピーです。2006年からスタートして、今もずっと使われている息の長いコピー。トミー・リー・ジョーンズ演じる宇宙人が、地球を調査しながら最後に缶コーヒーを飲んでつぶやくあのシリーズ、見たことある人は多いと思います。
僕はこの言葉に、初めて触れたときからずっと心を掴まれてきました。
僕がこの言葉を好きなのは、世界を見事に表しているなと感じたからです。
この世界自体に良いも悪いもない。ただ、在るだけ。
そして、僕の価値観というフィルターを通して見たときに、目も当てられないようなろくでもない現実が実際に日本にも海外でも未だに多く存在すること。それと同時に、本当に幸せだと感じる出来事や、毎日沢山の新しい希望という命が産まれているのも事実。
特にこれを読んでいる人は、最低限食べるものあり、スマホやPCを所持するだけの経済的な余裕がある。だから、自分の生き方次第で、自分の人生は「素晴らしい」ものにも、「ろくでもない」ものにもなりうる。それは自分次第だと言うこと。
僕は未だに、この言葉を時々思い出します。
そして、僕はアニメの世界が、それをうまく描いているなと感嘆するとともに、30代から目覚めた趣味の一つでもあります。
『俺だけレベルアップな件』を見ながら考えたこと
最近どっぷりハマっていたアニメの一つに『俺だけレベルアップな件』があります。
主人公の水篠旬は、人類最弱と呼ばれていた最下級ハンター。家族を養うために命を削ってダンジョンに潜り、ある日、絶望的な状況に追い込まれます。そこで彼だけが「システム」と呼ばれる存在に選ばれ、自分だけがレベルアップできる力を手に入れる。そこから一気に世界が反転していく物語です。
これを見ていて、僕は素直に「カッコいい!✨✨✨」とメチャクチャ憧れると同時に、僕をモチベートしてくれます。
弱かった人間が、ある日システムから選ばれて、努力するたびにステータスが上がっていく。倒した敵の経験値が数字で見える。スキルが解放される。仲間が増える。明確な敵がいて、明確な強さがあって、明確に世界が変わっていく。
これがもし現実なら、めちゃくちゃ楽しいと本気で思います笑
『魔王学院の不適合者』もそうです。前世で世界を救った最強の魔王、アノス・ヴォルディゴードが転生した先で、彼を理解する者はもう誰もいない。それでも彼はまっすぐ自分の道を行く。「我が名はアノス・ヴォルディゴード。世界を統べる魔王にして、ただ一人の不適合者」。あの一切ブレないスタンスを見て、痛快やなと思わない人は少ないでしょう。
『この素晴らしき世界に祝福を!』もそう。主人公のカズマは正直、性格はあんまり褒められたものではありませんが、僕は嫌いじゃありません笑 いやむしろ好きですねはい笑笑😆*˚✨✨ 変人ぞろいの仲間たち(神様アクア、爆裂魔法しか使えないめぐみん、ドM女騎士のダクネス)と一緒に、このろくでもない世界をワイワイ騒ぎながら駆け抜けていく。失敗しても蘇生される、何度でもやり直せる、笑い飛ばせる仲間がいる。
これらのアニメを見ていて、僕は何度も思いました。
「俺もこの世界で、アニメの主人公みたいに生きたい」 「このろくでもない世界を、楽しくぶっ飛んだ仲間と生きていきたい」 「望む現実を、一つずつ作っていきたい」
アニメを観ていて、本当によくそう思うんですよね、本気で笑😆*˚
ただ、現実とアニメは違う
ただ、現実とアニメは違います。当たり前ですが、改めてハッキリ書いておきたい。
アニメの主人公とは違い、人間には脳があり、意識と無意識があります。脳には何十年もかけて積み上がってきた習慣のパターンがあって、思考のクセがあり、自分でも気づいていない信念がある。
また、アニメみたいに、ある日急にシステムが介入してきて「あなたは選ばれました」とレベルアップが始まることも、起こりません。
このすばみたいに、一回死んで蘇生してリセットされて、面白くて楽しい仲間が向こうから集まってくることもありません。
アノスみたいに、生まれた瞬間からすべてのパラメータが最強で、何があっても揺らがない自己肯定感を持って生まれてくることもありません。
これは紛れもない現実です。
じゃあ、アニメは空想の産物であり、現実では決して起こりえないのか?僕は、それは半分は真実では半分はウソだと思っています。
空は飛ぶことはできません。魔法は使えないし、感情の昂りで脳力が目覚める事も現実では起こりえません。
ですが、アニメの主人公の様に、圧倒的な脳力をもち、思い通りに自分の信念を貫いてカッコよく生きてることはできます。僕はその様な人を、書籍やメディアを通してですが、沢山知っています。日本では報道されず、僕が知っているその様な人は海外の方が99%ですが、確実に存在しています。
また、アニメは、そこに人間の理想が描かれているものも少なくありません。ですから、自分が目指すゴールとして活用する事もできます。「こういう生き方をしたい」「主人公のようにカッコよく圧倒的な力を身につけたい」というゴールイメージとして使えます。ただ、それ「だけ」で終わるかどうかは、見ている本人次第です。
ここからは、少し自分語りになりますが、僕は書籍を通して「アニメの主人公の様に生きているかっこいい大人」に出会い、憧れ、尊敬し、今はアニメの主人公とまではいきませんがw それでも僕はアニメの主人公の様な生き方を目指し、そして一歩ずつ確実に近づいている自信があります。
ただ、僕も最初からその様に自信があった訳ではなく、むしろ10-20代の頃は劣等感の塊でした。
気持ちだけが走っていた20代
ちなみに、20代の頃の僕は、アニメはほとんど見ていませんでした。アニメに目覚めたのは病床に伏していた30代からです。20代当時は別の事に必死でした。
10代から20代前半の僕は、ずっと劣等感の塊でした。
勉強家庭で育ったのに、その勉強に自分は取り組めない。コミュニケーションもうまくいかない。自分の心も、自分でうまく扱えない。「なんで自分はこうなんだろう、、考えているようにうまくいかない」というモンモンが、ずっと頭の中にありました。
でも、その現実をなんとかしたくて、心理学系の本を読み漁りました。人間の心の仕組みを知れば、自分の心も直せると思ったからです。
ただ、ここが20代の僕のおもしろいところで、受験勉強そのものはやる気が起きない。やる気が起きないと、脳って勝手に「やらなくていい理由」を作り出すんです。これは心理学の用語でクリエイティブ・アボイダンスと言い、簡単に言うと「やりたくないことを避けるために、無意識に別のもっともらしい行動を作り出す逃避」のことです。
僕の場合、その逃避先が「勉強法の本」でした。
「超効率的に短い時間で結果を出す勉強法」みたいな本ばっかり、漁って漁って漁りまくっていました。速読、速聴、速記、なんとか勉強法、ほにゃらら記憶術。
書店の棚に並んでいる勉強法系の本、当時の僕はだいたい全部見覚えがあったと思います。
そして、本を読み終わったあとの満足感、これがすごい。「俺、めっちゃ賢くなった気がする」と。なってないんですよ。何も変わってないんですけどね笑
毎日、毎日、毎日、勉強せずに勉強法だけ読んで満足してました。今振り返ると、これ完全にコント。
そして20代に入ってからは、今度はスピリチュアル本にハマる時期もありました。
ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』、ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』、斎藤一人さんの書籍ほぼ全部。当時はもう、人生のヒントは全部この棚にあるんちゃうか、というくらい読んでました。
これ、後で笑い話にしますけど、当時の僕は本気でした。本気で「これ読んだら人生変わるかも」と思って読んでた。
結果として人生は変わってませんでしたが、あの頃の自分なりに、必死に「自分の心の不具合の直し方」を探していたんやと思います。場所が間違っていただけで。
ちなみに26歳以降は、本を読む習慣そのものが、だんだん消えていきました。
これは別に意志が弱くなったとかじゃなくて、シンプルに睡眠時間が削れすぎて、脳が回らなくなったからです。体力も落ちて、活字を追う集中力がなくなって、気がついたら本棚の前に立つこと自体がなくなっていました。
人間、土台が崩れると、上の階のことは全部できなくなる。これは身体で覚えました。
そんな読書遍歴を一旦置いておいて、当時の生活と気持ちの話に戻ります。
20代に入った頃の僕は、ずっとモンモンとしていました。
「正社員にはなりたくない」 「でも何がしたいかも分からない」 「とにかく今のままじゃ嫌や」
そういう気持ちだけが、頭の中をぐるぐる回っていました。気持ちは熱いんです。でも、気持ちだけ走っていて、行動が伴わない。
大学では心理学を専攻していました。人間の心がどう動くのか、なぜ人は苦しむのか、それを学びたかったんです。10代から続いてきた自分の劣等感の正体を、ちゃんと知りたかった。
でも、大学3年生のときに気づきました。自分が学びたかった心理学と、そこで教えられている心理学は、ぜんぜん違うものでした。
僕が知りたかったのは「人間の脳と心が今どう動いているのか」という現代の話やったのに、そこで扱われていたのは古典心理学の復習が中心。研究テーマも、自分の興味のある領域を提示すると「前例がないから」というだけの理由で却下される。何を言ってるんか、僕にはまったく分からんかった。
担当の教授も、気分で大学院生を怒鳴ったり褒めたりしているのを見て、もう完全に冷めました。「これは違う」と。
大学には行かなくなりました。1年間休学して、最終的に自主退学しました。
これがまあ、自分の人生の流れを大きく変えた最初の決断やったと思います。
退学後の数年間
退学した直後、僕は2週間くらい、漠然とした恐怖感に襲われていました。
理由は単純で、社会的なつながりがアルバイト先しかなくなったからです。学校という枠組みから外れて、「学生」という肩書きもなくなって、自分が何者なのかが急に分からなくなった。
人間って、所属がなくなると、こんなにも不安になるんやなと知りました。
ただ、2週間くらいで慣れました。慣れたというより、麻痺したのかもしれません。
その不安を埋めるように、僕はアルバイトを掛け持ちで詰め込み始めました。昼間はパチンコの派遣で集合形式のアルバイト。夜は居酒屋で週3〜4のアルバイト。これを1年くらい続けていました。
休日に睡眠時間を取り戻すような生活で、平日は4時間睡眠の日も多かったと思います。今振り返ると、よくやってたなと思います。笑
その後も派遣を1年ずつ点々として、自分が何をしたいのか、まだ分からないまま時間だけが過ぎていきました。気持ちは「変わりたい」と叫んでいるのに、行動の方向性が分からない。情報も足りない。脳の仕組みも知らない。
ただひたすら、目の前のシフトをこなしていました。
27歳で身体が壊れた
そして、27歳のとき、身体が壊れました。
当時、日勤4日・休み2日・夜勤4日というローテーションを延々と繰り返していたら、自律神経が完全にバグってしまったんです。
診断名は「身体表現性障害」でした。簡単に言うと、ストレスが身体の症状として出てくる病気です。
具体的に何が起こったかというと、24時間ずっと背中に痛みが続いて、起き上がれなくなりました。
ここ、書き方が難しいんですが、意識の上では起き上がることはできるんです。手も足も動く。でも、しんどすぎて「起き上がろう」と思うことすらできない、という状態です。
寝ているときが一番楽でした。意識を飛ばせるから。
でも、目が覚めている時間は、心臓と自律神経を内側からぎゅっと握られているような感覚がずっと続いて、地獄でした。生きている事が苦痛という経験を、それで初めて知りました。
結局、起き上がれるようになるまで、1年くらいかかりました。
そこからも、体力はじわじわとしか戻ってきませんでした。普通の生活ができるようになるまでに8年。週5の仕事をして普通に生活できる、と自分で言えるようになるまでに、11年かかっています。
11年って書くと、自分でもちょっと驚きます。でも、事実です。
あのとき、僕は「脳の仕組み」を知らなかった
なぜこんな話をしたのか、それには理由があります。
20代の僕は、「気持ちだけ」で生きていました。
「変わりたい」という気持ちは、誰よりも強かったと思います。アニメを見て、主人公みたいに生きたいと願う気持ちも、本気でした。
でも、僕は人間の脳の仕組みを知らなかった。無意識がどう動いているのか知らなかった。気持ちが動いても行動が変わらないとき、人間の中で何が起こっているのか、知らなかった。
だから、気持ちが空回りして、行動が伴わず、結果として身体が壊れるところまで行ってしまった。
これは僕が、僕自身の20代を振り返って、一番伝えたいことです。
アニメの主人公のように生きたい、と思うこと自体は、まったく悪くありません。むしろ、そのゴールイメージはめちゃくちゃ大事です。
ただ、「気持ち」と「行動」のあいだに、人間には脳という装置が挟まっている。その装置の動かし方を知らずに気持ちだけぶつけても、装置のほうが先に壊れる。これが、僕が身体で覚えた結論です。
アニメの様に生きるには
それでは、アニメの主人公の様に生きるためには、何をどう変えればいいのか?
僕の今のスタンスはシンプルで、こうです。
- アニメをゴール設定のために活用する
- アニメをモチベーションとして使う
アニメで得たエネルギーを、自分の現実を一歩動かすことに使う。
そして、「現実を動かす」というのは、気合いや意識でどうこうするという話ではありません。無意識が勝手にゴールを達成する様に、脳の仕組みをしり、環境を整えてあげればいいのです。
これは、身体が回復して、本をもう一度読めるようになってから、僕がやり直したことそのものです。
一言で言えば簡単ですが、やはり脳も仕組みで動いており、まずは脳のしくみを理解することが非常に重要になって来ます。
車やパソコンも同じです。仕組みを知れば、ゴール達成のために「どこをどうすればゴールが達成できるか」自然と理解できます。脳も同じことです。
まずは脳の仕組みを理解して、アニメで触発された自分のゴールに向けて、無意識をうまく活用してあげればいいのです。
認知科学に出会い直した話
身体が少しずつ戻ってきて、本を再び読めるようになったとき、僕は20代の頃に学びたかったものに、ちゃんと向き合い直すことにしました。
それが「認知科学(cognitive science)」という学問領域です。
認知科学というのは、人間の認識・思考・行動を、複数の学問領域から横断的に解き明かそうとする学問です。具体的には、こういう領域の集合体になっています。
- 脳科学(neuroscience):脳の物理的な仕組み
- 心理学(psychology):心の働き
- 言語学(linguistics):人間が言葉でどう世界を切り取っているか
- 人工知能・コンピューター科学(artificial intelligence / computer science):知能をシステムとして再現する視点
- 哲学(philosophy):そもそも認識とは何か、意識とは何か
- 人類学(anthropology):人間という存在を文化・進化的に捉える視点
20代の僕が大学で求めていたものは、たぶんこっちでした。古典心理学だけでは、自分の心の不具合は説明しきれなかった。脳と心と言葉と意識、これを横断的に扱う領域でないと、人間の本質には届かない。
僕はこの認知科学を、主に苫米地英人博士の書籍をメインに学び直しています。
博士は認知科学者であり、計算機科学者であり、機能脳科学の専門家でもある方で、書籍を100冊以上出されています。僕は今までに、そのうち100冊以上を購読しました。
なぜ苫米地博士の本かというと、博士が書いている内容は「物理空間と情報空間の両方を扱える」からです。脳という物理的な装置と、心という情報的な現象、両方の言語を持っている人がほとんどいない。
そこで何を学んだか、というのを、ここで全部書くと記事が破裂するので、結論だけ先に置きます。
僕は、認知科学を学び直したことで、自分の心の不具合を完全に直せたと感じています。
10代から続いていた劣等感、20代の漠然とした不安、何をしても変われない感覚。これらは、気合いや根性で直すものではなくて、脳と心の仕組みを理解して、適切に扱えば、ちゃんと解消できるものでした。
そして今、アニメの主人公のような「思い通りの人生」を、一歩ずつ実現していっている最中です。
人生を変えるための、運転手と乗り物の話
じゃあ、どうやって心を直したのか。どうやって人生を動かしているのか。
その具体的な技術は、次の記事でちゃんとまとめます。ただ、その前提となる考え方だけ、ここに置いておきたいんです。
シンプルなメタファーで言うと、こうです。
僕たちの意識は、車に乗っている運転手のようなものです。
意識(運転手)が「右に曲がろう」と思っても、車(身体と無意識)の仕組みを知らずに、いきなりハンドルを思いっきり切ったら、車は横転します。アクセルとブレーキの区別も知らない、ギアの仕組みも知らない、燃料も入っているかどうかも知らない。それで「思い通りに動け!」と叫んでも、車は動きません。
20代の僕は、まさにこの状態でした。気持ちだけ熱くて、自分という乗り物の取扱説明書を読んでなかった。
この例えを人間に置き換えると、「運転手」は意識、「車」が、身体と無意識です。
- 身体 = 物理空間で動く車
- 無意識 = 車の仕組み(ハンドル操作、アクセル、ブレーキ、その他の仕組み全部)
この二つの仕組みを理解しないと、運転手である意識がどれだけ熱く叫んでも、車は動かない。むしろ無理に動かそうとすると、僕みたいに27歳で身体が壊れます。
逆に言うと、物理空間(脳と身体)と情報空間(無意識と言語と意識)の仕組みを理解すれば、運転手は車を100%自分の思い通りに動かせるようになります。
心も、身体も、自分の意図通りに動く。
これが、認知科学を学び直したあとに、僕がたどり着いた結論です。
「アニメの主人公みたいに、思い通りの人生を生きたい」という願いは、現実逃避ではなくて、設計図として使えます。
設計図を持っていても、車の仕組みを知らなければ、その設計図にはたどり着けない。 逆に、車の仕組みを知っていても、設計図がなければ、どこに行きたいのか分からない。
両方が必要です。
設計図はアニメや、苫米地博士の言うところの「ゴール」が与えてくれます。 車の仕組みは、認知科学が教えてくれます。
そのあとに必要なのは、運転手としての練習。これは、自分でやるしかありません。
具体的な「車の動かし方」、つまり脳と無意識をどう扱えば人生が思い通りに動き始めるのか、この技術的な話は、次の記事でちゃんと書きます。エフィカシー、スコトーマ、ホメオスタシス、Want-to。このあたりの言葉が出てきますが、できるだけ噛み砕いて書きます。
ここでは、その前段として、「気持ちだけでは動かない」「だからといってアニメを否定する必要もない」「車の仕組みを学び直せば、人生は自分の意図通りに動く」、この3つを置いておきたかったんです。
最近見ているアニメと、見ていない人へ
最後に、僕が最近見ているアニメのリストを置いておきます。
冒頭で挙げた『俺だけレベルアップな件』『魔王学院の不適合者』『このすば』に加えて、最近継続的に見ているものたち:
- 『正反対な君と僕』
- 『その着せ替え人形は恋をする』
- 『シュタインズ・ゲート』
- 『Re:ゼロから始める異世界生活』
- 『Charlotte』
- 『転生したらスライムだった件』
- 『葬送のフリーレン』
『シュタインズ・ゲート』なんかは、身体がしんどかった時期に見始めて、本当にハマりました。岡部倫太郎が、何度も世界線を移動して、それでも諦めずに大切なものを取り戻しに行く話。あれを見ていた時期、僕は自分自身の身体と戦っていたので、勝手に重ねて見ていたと思います。
『葬送のフリーレン』も最近ずっと心に残っています。長く生きる魔法使いが、短く生きた人間のことを、ゆっくり思い出していく話。あの作品が描く「時間」の感覚は、他のどこでも得られへんものやなと思います。
アニメの世界は、優しいです。 そして、人間が理想とする世界が、ちゃんと描かれています。
人と人とがちゃんと向き合う、信念のためにまっすぐ動く、仲間を裏切らない、自分の心に正直に生きる。現実ではなかなか見られへんものが、アニメではちゃんと描かれている。
学べるし、癒されるし、モチベーションが上がるし、純粋に楽しい。
これが、僕がアニメと付き合っているスタンスです。
もし、これを読んでいる人で、まだアニメをほとんど見たことがない人がいたら。あるいは、上に挙げた作品をまだ見ていない人がいたら、よかったら一度、入り口だけでもどうぞ。あなたの「ろくでもない、素晴らしき世界」の見え方が、少しだけ変わるかもしれません。
そして、「アニメの主人公みたいに人生を動かすための技術」、つまり車(身体と無意識)の動かし方については、次回以降のエッセイで、ちゃんと書きます。脳と心、物理空間と情報空間の仕組みの話です。気持ちと行動のあいだにある装置の、動かし方の話です。
それでは、また。
